この話の続きです。

つり革のダンスショーを繰り広げて

数日後の朝方、強烈な吐き気と、背中の痛みで目が覚めた。

時計を見ると3時くらいだったでしょうか?

これまでにない痛みと、

熱が下がらない恐怖。

気づかないふりをしていたけれど、

どう考えてもカラダはおかしい。

つり革のダンスショーの時もそうでしたが、

高熱が薬を飲まないと2週間近く続いていて、

まともな思考回路もない状態。

誰にも頼れず、実家に電話をかけます。

親も寝ているのでなかなか電話に出ない。

やっと出た。

私「(泣きながら)背中が痛い、もう死にそう」

これまでの調子が悪いのは知っていたので、

ほれみたことかという感じ。

そんなことを親も言われても、

京都と横浜(住まいは横浜)ですぐに助けにこれるわけでもなく、

母「すぐに救急車呼びなさい」

と言うしかなく、

私「救急車は目立つからいやや」

母「じゃあ、タクシーで救急病院に運んでもらなさい」

と言われ、そうか、その手があったか。。。

と、タクシーで救急病院へ。

当時、会社の寮に住んでいたので、

ちょっとでも騒ぎを起こすと、噂になるので

なるべく静かにことを済ませたかった。

すぐに戻る予定で

色々そのままにして、病院へ出た。

タクシーの運転手さんが女性だった。

病院についたら、抱きかかえるように救急入り口まで連れていってくれた。

硬いベッドの上で、採血と点滴。

検温をして、しばらく寝ててねと看護師さんに言われて、

2時間ほど一人でただ天井を眺めていた。

カラダの状態はなんら変わらないはずなのに、

全く来たこともない大きな病院に連れてこられて、

この病院がどこだかもわからない。

私、どうなるんだろう・・・

そういう不安しかないのに、

なぜか病院へ来た安堵感で、この時の心は穏やかだった。

ただ東京に出てきてからの1年を思い出して、

涙が出てきた。

お昼に納豆を食べても、腕に蕁麻疹がでるカラダになってしまった。

ただただ、嗚咽するとかじゃなくて、

涙があふれて、つつーーーっと流れていく感じ。

淡々と、自分はバカだった。

どんな不摂生をしたんだ。

親にもらった大切なカラダ、なんで雑に扱った?

なぜ、カラダがしんどいと思った時に

色々やめることができなかったのか?

一体自分のカラダは何が起こっているのか?

2週間前に言われた腎盂炎。

それが一向に良くならならいのか?はたまた悪化しているのか?

当時の私には体調が悪いという経験がなさすぎて、

知識もなさ過ぎて、

どんなことがカラダで起きているのか?

それすら客観視ができない状態だった。

ふと時計を見ると、

8時半を過ぎていた。

看護師さんがやってきて、我に返って

「会社遅刻しているので、電話してもいいですか?」

と聞いたと同時に言われた言葉。

「ご家族に連絡してください。今から、入院していただきます。」

ごかぞくにれんらくしてください?

理解ができず、

ご家族はここにはいません。

私は会社に行かないといけません。

それだけを伝えた。

続く。


店主の店主の憂鬱シリーズは店主たになかが、
足つぼ屋になったキッカケをつづっています。

いつも私が、
痛い目に合ってからじゃないと人は変われないと話している原点です。

実際に私も痛い目をみました。
だから、ストイックに毎日のケアをしようと思うようになりました。

自分を一番大切にすると意識するようになりました。

でもこんなことがないように、つづっています。